晴れのちトキドキ曇り。。☆ Part2

書きたくなった時に気ままに思いをつらつらと…。

客観的ということ

この頃、「 客観的 」 ということの難しさ?わからなさ?を
感じることがよくあるんです。

どういう受け取り方をするか、
どう感じているか、
どう思ったか、
どう行動したか ( どう話したか ) 、
したことだけでなく、しないこと表現しないことは何か、
どのような背景があるか…。

一人一人のそんなことを一人一人の立場で確認し、
「 その人 」 を理解しようと努めてきたけれど…。

今、こういう状態にあるのは○○○だからじゃないかと
確認したものをもとに考えて、
「 こうなんじゃないか? 」 と思ったり、言ったりしてきたけれど…。

言葉に出して話していると、
ふと、「 それって私のことじゃないのか? 」
と思うことが最近多くて…。
言った言葉が自分に返ってくる感じがよくするんですよね…。

客観的に見ているつもりなのに、主観でしかないんじゃないか?と…。
自分の考えは横に置いているけれど、
理解しようとしている 「 私 」 は居なくなるわけではないし、
理解するのにはどうしても 「 私 」 を通すし…。

そんなことをこの頃考えている。

「 その人 」 を○○だ!と決して決めつけたりはしてこなかったけれど…、
でも、こういうことを今まであまり感じなかった自分に
ちょっとショックだったり、気づいて良かった?と思ったり…。
まだまとまっていないのだけど、ちょっと複雑…。

私はずっとデータ…データ…データ…データ…と言う
「 データ人間?(笑) 」 が嫌いでした。
とっても感情的ですが… (^_^;)。
気持ちを無視している?感じていない?と感じる人が多くて。
それにデータで一人一人の何がわかる?とか思ってて…。
でも今の私はちょっとその考えがゆるんでいます。

自分の客観性に自信がない…、
客観的に見ているという思いが揺れている…、
そんな感じ?
データを使う方が安心?なのか?とか…。

もちろんどちらかに偏ってはいけないけれど、
今までとそのバランスを変えていってもいいのではないか…?
そんな思いが出てきています。

人は一人一人違うけれど、
動物として共通の部分を持っていることも確か。
その部分で、「 私のことじゃないのか? 」 と思うということもあるのかもしれない…。
私にだけあてはまることじゃなくて、
誰にでもあてはまることかもしれない…。
人にはいろんな部分があって、いろんな状態の時があるから…。

いろいろ考えているとわけがわからなくなってくるのだけど、
今までと違う視点が増えた気がしています。
その方向から見ると、今まで私が苦手でどうしてもできなかった、
「 あること 」 に対する思いが少し楽になります。
それはちょっと嬉しいかもしれない。。

☆ コ メ ン ト ☆

お~♪

ありがとうございます~。
また見にお邪魔しますねぇー (^o^)/

>本当に、ゆっくり時間をかけて、考えたいトピックスです。

そうですね。
私もわかってるようなわかってないようなそんな感じで。。
これからも考え続けていくのかなぁと思います。

>今、色々と考え、もがいたりあがいたりすることが、
>いつか生きてくればいいなあ…と思っています(^_^)

うん。。
けっこうしんどいけどね (ToT)。
もがいている自分、抜け出そうとしている自分、
いつかに向かっている自分。。
そういう自分をいたわりながら大事にしながら進んでいきたいね。

turtleさんが自分とまっすぐに向き合おうとされてる感じ、
とても伝わってくる感じがしていました。
怖いだろうに、勇気があるなぁと尊敬したり、
私にはできてるのかなぁとふと自分を振り返ったり、
辛そうだなぁと胸が痛んだり…。
そんなturtleさんの邪魔をしたくないなぁと私は思っていました。
私も自意識過剰かもしれないけれど… (^_^;)。
揺れているturtleさんにとって何が邪魔になるのかが
私にはわからなかったから。
turtleさんのことはほんの一部分しか知らない私だから。
私は私で私の思いを私のものとして自分のブログには書くけれど
(ここでならturtleさんがここに来ないという選択もできるから)、
turtleさんのことは、会えなくなったりしないかな…とか
私の方にもいろんな気持ちはあったけれど、
じっと待っていようって思ってました。
今回、復活はされたけれど、
実はまだちょっと勝手に心配している私がいたりします (^_^;)。
何となく、私の勝手な心配心からそちらに書き込みに行けませんでした。
ここにコメントをしていただいて、ちょっときっかけをもらった気分です v-22

あ、「 心配させてる 」 と思わないで下さいね。
turtleさんのことが好きだから、
たぶん 「 私が心配したい 」 んだと思うので。
心配させといて下さい e-348

お互い、ゆっくり行こうね e-93

またね~ e-266

遅くなりましたが…(^_^;)

先日いただいたコメントのお返事を、やっと書きました。
といっても、全然たいしたことではないのですが(^_^;)
本当に、ゆっくり時間をかけて、考えたいトピックスです。
それに、色々と経験を積んでいき、その経験とリンクさせていくことで、見えてくることもきっとたくさんありますよね…。
今、色々と考え、もがいたりあがいたりすることが、いつか生きてくればいいなあ…と思っています(^_^)

そういうことですね

>自分の行動を客観的にみつめる
>(かえりみる・シミュレートしてみる・ふりかえる)
>ことができれば、自己中にはならない。
>確かにそうですね。

自己中にならないかはその人次第ですが、客観は、自己中にならないための一つの材料になると思うんです。

まさか共感して頂けるとは思っていませんでした。
しかもこんなに即答で^^
今回は、(ちょっと言い方が変だけど、)考えをうまくぶつけ合えたと言えるのではないでしょうか?

>心理職で、その「客観的な・なんらかの判断の基準・ものさし」が存在できるか、
>については、いまだに懐疑的ではあります。

結局は、pさんが難しいとおっしゃっていたことに繋がるのでしょうね。
奥深い問題です。

pさんから出入りOKを頂いていないのに、こんなに発言を連続で続けてもいいのかなぁ・・・と思いつつ、この場を利用させて頂いていることに、感謝しております^^

ふむふむふむ

自分の行動を客観的にみつめる(かえりみる・シミュレートしてみる・ふりかえる)ことができれば、自己中にはならない。
確かにそうですね。
客観を「第3者的見地」とすれば、客観的見方、というのはありえるのかも。
若干修正中。
物事に対して、自分のものととらえずに、第三者として「なんらかの判断の物差しによって」分析することが出来れば、それは客観的なものの見方になるかも知れません。
心理職で、その「客観的な・なんらかの判断の基準・ものさし」が存在できるか、については、いまだに懐疑的ではあります。

分かりました

>自己中ってのは、自分の意見に従って、周りへの影響を考えない人だと思うから、
>そういう考え方と「主観/客観」はまた違う軸だと思います。

なるほど、これでくりにゃーさんの考えが分かりました。
この点に関しては、少し自分と意見が違うような気がします。
自分は、自分自身の行動を客観的に省みれない人こそ、自己中な人だと認識しています。
まぁそれは、自分がネットとかで見掛ける自己中な人間達が、そう感じさせるのかもしれませんけどね。もちろん、くりにゃーさんと自分では、与えられている環境も置かれている状況も全然違いますからね。考えが違って当然でしょう。
別にそれに対してどうこう思わないし、むしろくりにゃーさんの考えが理解できて良かったと思います。

まぁ、幻想ってのはいいすぎかな

主観は主観なんだけど、その状況に居合わせたみんなが同じ意見を述べられるとすれば、客観なのかも知れません。
自己中ってのは、自分の意見に従って、周りへの影響を考えない人だと思うから、そういう考え方と「主観/客観」はまた違う軸だと思います。
ただ、周りの意見(この場合は常識と同義かも)を理解した上で、対象を観察して意見を述べるのは、主観であったにせよ、いい行動だと思います。
純粋な客観は、基本的に無理だと思っていますが(物理実験みたいに、誰がいいつやっても同じ条件であれば同じ結果が出るものなら、それは客観と呼べると思うけど、papierluftballonさんの領域って、そういうものではないと思うから)、客観に限りなく近い主観を目指すことは可能だと思います。

はじめまして。
ちょっとばかり、関連することを書きました。
turtleさんと お二人にTBしますね。

またまたTBさせていただきました

pさん、こんばんは。
pさんの記事を通し、色々と連想が湧いてきたので、記事にしてTBさせていただきました。
ずれてたらすみません(;_:)
歴史を持つ一人の人間である以上、積み重ねてきた(もとからの素質も含めて)主観から抜け出すことは、完全には出来ないかもしれないけど、常に、相手をわかるために、客観性を「心がけている」「意識している」ことそのものが、とても重要なのではないか…と感じている、今日この頃(?)です。

pさんの「あること」って、何だろう…って、少し思ったのですが、それは今のところ、心にしまっておきますね。

初めまして

前から少しずつ楽しんで読ませて頂いておりました。
pさん初めまして、どうぞ宜しくお願い致します。

くりにゃーさんがおっしゃっていることは理解出来るのですが、「だから、幻想にすがるのは止めましょう」というのは、少し寂し過ぎやしませんか?
客観的に見ることは現実には不可能なことかもしれないし、現にその難しさはpさんも実感されているところ。でもね、くりにゃーさん、それを放棄することはどうかなぁって自分は思いますよ。
客観が主観によって形成されるから、それが幻想であり、放棄すべき対象なのだとすれば、主観一本で物事を判断してしまうことになる。そのように行動する者が多くなって来た昨今、わがままな人間がたくさん世の中に現れてきているのではないでしょうか?
やはり、主観交じりの客観性であれど、自分を省みる要素としての客観は必要だと思います。そして願わくば、そこに私欲をはさみたくないものです。

・・・というのが、自分の意見です。
まぁこれも自分の「主観」に過ぎないから、正しいのかどうかはわかりません^^;

pさんの考え方からも思いっきりずれちゃったかもしれないけど、くりにゃーさんのコメントを見て、何となくコメントしたくなったのでしてみました^^

長〇で失礼致しました^^;

あぁ、客観的なんて幻想ですよ

観察対象を数値化するとしても、数値化する軸そのものに主観が入るのだから、データ・データって言ったところで、「意志」のもとのデータ集めが行われます。
ましてや、感情を持って観察すれば、それは観察者のフィルターによって「まとめられた」=「歪曲された」見方でしかないです。
客観的って言葉は、独りが発するものじゃないです。
対象に対して、集団が主観的に発した言葉の統計処理によって、やっと客観性が得られるかどうか。
(ミクロの世界では観察そのものが観察対象を変質させてしまうのはあたりまえ、なんで、純粋な観察はあり得ないことになっています。素粒子レベルのお話。)
せいぜい、自分の中の常識と照らし合わせて常識的かどうかと思っていることでしかないです。
だから、幻想にすがるのは止めましょう。
「私が」こう思った、という自分の主観を大切にし、それがずれてないように常に磨くことで、なんとか、客観的なようなものが作れるかも知れません。でも、結局は、観察者の主観でしかないですから。それはもう認めてしまいましょう。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://konekonohirune.blog41.fc2.com/tb.php/24-bd80574b

「主観」と「客観」

昨日の昼間、papierluftballonさんが、「客観的ということ」という記事を書いておられるのを、読ませていただきました。私自身が最近考えている「わかるということ」にも、どこかつながる気がしました。pさんの考えられていることに対して、私もていねいに考えたかったし、p

 | HOME | 

☆ calendar

« | 2017-10 | »
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

☆ Monthly

  

☆ Categories

☆ BlogPet

☆ Recent Entries

☆ Recent Comments

☆ Recent Trackbacks

☆ Author

papierluftballon

papierluftballon

 心の持ち方や行動の仕方と
 体調の関係、
 体つきや動作と心の関係…。
 自分なりの
 こたえを見つけることが
 最近のテーマ?な感じ。。
 

FC2Ad