晴れのちトキドキ曇り。。☆ Part2

書きたくなった時に気ままに思いをつらつらと…。

私は私、あなたはあなた

「 私はあなた、あなたは私 」 という記事を以前に書いたのですが、
私の基本にある思いは、「 私は私、あなたはあなた 」 です。
何が基準になっているかというと、
行動とその速度やタイミング、とらえ方 ( 考え方 ) という点においてだと思います。
「 私はあなた、あなたは私 」 と捉えている部分もあります。
それは同じ生き物として同じ感情を持っているということ。
でも、その感情だって
どういうタイミングで、どの程度の強さと量で、どのくらいの期間続くのか
というのはやはり 「 私は私、あなたはあなた 」 なのだと思います。

私の基本としているところがそれなので、
同じように考えている人といると
私が同じ生き物として持っている感情をもとに、
どう考えて行動しているのか…ということを
自分のそれを大事にするように尊重して私のままで居させてくれる。
だから楽だし、" 私 " が大切にされていると感じます。

誰でも、「 私は私、あなたはあなた 」 だということは知っています。
だって実際に別人格なのだもの。

でも、一緒にいる人によっては
そのことを忘れてるんじゃない?と頻繁に感じることや
あなたにとっての 「 私は私、あなたはあなた 」 って一体??
と感じることがあり
悲しい気持ちになることがあります。
実際には、悲しくなるのは後からで、
最初は 『 え? 』 という驚きと、それが繰り返されることによるイライラ、
あきらめや無力感の後の悲しさという流れだと思います。
相手の人に対する愛情みたいなものがこちらになければ
不快感だけが残るかもしれません。

「 人は人だから 」、「 いろんな人がいるから 」
そんな言葉もよく聞きますが、
言葉の後に 「!」 が入っているように感じることも少なくなく、
そういう時は、認められないその相手を
自分から無理矢理引き離そうとしているだけで
実際は別の人格としてきちんとは見ていない。
その時その人の中に 「 あなた 」 は存在せず、「 私 」 だけが存在している。
自分を守るだけで精いっぱいになってしまっている感じ?
それは 「 私は私、あなたはあなた 」 ではないと私は感じるのです。
うーん…、ただの 「 私は私! 」 って感じかな。
「 あなた 」 を認められない 「 私 」 も存在していないし
「 私 」 の中にある 「 あなた 」 の部分は認められないように思います。
本当は 「 人 」 ではなく 「 あなた 」 と 「 私 」 の問題なのに
「 人 」 と一般化してごまかしている感じもします。
たとえば、「 あの人がこうするのは嫌だから私はこうする! 」
とか 「 あの人はこういう人だったから嫌! 」
というふうに表現することで、
人は人、いろんな人がいると感じていることが本当の意味で相手に
伝わるのではないかと私は思います。

この文章は、終わっていないですよね。
「 ○○だから… 」 だから何?っていう最後のところが、
語っている人の大事なところなわけで…。
私が一番聴きたいところ、聴いているところはその部分だったりします。
しりぞけていたり、無視しようとしていたり、見下していたり、
ちゃかしていたり、戸惑っていたり…。
省略しているけれど、
表情や態度に語らない思いが表現されることが多いように思います。
その最後の部分で、
その人の 「 あなた 」≒ 他人 との関わりや
「 私 」≒ 自分自身 との関わり方を
私は感じ取っているところがあるように思います。

「 私は私、あなたはあなた 」 というのは
私とあなたは同じ生き物でも
生き方が違うということ、
そして大事にしているものが違うということだと思います。
すごく当たり前のことを書いていますね
でもね…、
いっしょくたにされてる…?と感じることはよくありますよね?
相手の話をよく聴いて理解して、相手の立場に立ってというのでなく、
相手のことが心配で自分のことのように口を出してしまう…とか。
そういうこと自体はよくあることで、
自分の場合も理解できればそんなに苦にはならなかったり、
ありがたかったりするのですが、
そういうのではなく、何度もあなたと私は違う
ということを伝えても伝わらない場合…。
どうして…
とやりきれない気持ちになったりします。

考えてみると、伝わらない人には
共通しているところがあるような気がします。
相手の気持ちをまるで自分の気持ちであるかのように
勝手に想像して決めつけてしまう。
自分の気持ちをきちんと見ていないことも多いかな…。
自分の気持ちなのに相手の気持ち、
もしくは相手も同じということにして
そう感じるだろう、だからこう考えるだろう、行動するだろう…と。
同じ感情を持ってはいるけれど、
どういう時にどう感じるかは違います。
それならば、どう思うか、どう行動するかも当然違います。
それなのにそこのところを確かめようとしない。
「 あなた 」 はどうでもいい、「 私 」 がそう思うのだから
という感じ( 「 あなた 」 は不在 )だったり、
「 あなた 」 もそう思うはずでしょう?「 私 」 がそう思うのだから
という感じ…。
不安だったり、恐れていたり…。
そういう感情にその人が支配されている部分に対して
そういう反応になるようにも感じます。
不安や恐れが多い程、伝わらない度合いは増すような気もします。

人と人がピッタリと重なる部分なんてほんの少しなのだと思うのです。
そういう点では孤独だし、
自分が自分らしく生きていくということは
とても不安であるというのが自然なのだろうという気がします。
だから誰かと一緒にいる時は、
自分とはちがう 「 あなた 」 の 「 私は私、あなたはあなた 」 を感じ、
「 私はあなた、あなたは私 」 の部分を重ねて、
不安で孤独だけれど誰でも同じ、と勇気づけられているのかもしれません。



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